ズーラシアに入ると象がいた
あと、見たかったスマトラトラも、キリンも、お猿さんも、蛇とか、依怙贔屓オカピとかもいた。
家族連れで溢れる動物園に女子高生2人でいくのはなかなか奇妙な光景だったなーと思う
でもとてもよかった、足が痛くなった
どこだここ?ってなってる時とか、おたまじゃくしを眺めている時とか、すごく楽しかった
よく考えると、小さい頃から学校のイベントを楽しめたことは無かった
小学一年生の時の道保川こうえん、多摩動物公園、そういう遠足事は全部泣いた。
つまらなかったから。
同じ、チーター班の馬鹿で汚い、けど優しい2人に心配された。
小さい頃思ったことは案外明確に覚えているので、よく昔の自分に同情して、頑張っていたなーと思うことがある。
遠足の行きのバスで、このまま動物園につかなければ良いのにと考える小学一年生がこの世に何人いただろうか。
そんなことは知らない
同じ学校にいたのならお友達になりたかったものだ。
でも、そんなつまらない思い出を上書き出来た気がして、とても嬉しい気持ちになっている。
小学校の遠足の思い出が、寂しい気持ちになるのはちょっと悲しいから
集団行動は嫌い
先生に出来の悪い子を押し付けられるのが嫌
なんで私は我慢ばっかしないと行けないの?
なんでお弁当はひとりで食べないといけないの?
なんで私のグループには問題児しかいなかったのに先生がつかないの?
なんであの子達は私の前で2人で話すの?
なんで先生はベランダで私と話すだけで、結局何もしてくれなかったの?
なんで4年間も仲間はずれにされながら下校しないといけなかったの?
小学校低学年の思い出はなかなか泣けるものも多いくらい薄暗く、灰色の世界だった。
なんて考えていたら、高校生では、自由奔放な学年底辺になっているんだなと思った。
1回だけ、小学四年生の時に仲間はずれにされていると日記に書いたことがある。
当時は書いたことを後悔した。
先生に「大丈夫なの??」と聞かれる度に笑って「今は無いです大丈夫です、すみません(><)」みたいに言うのが恥ずかしかった
一瞬の勇気は一瞬で消えるので、それを言った後に言った瞬間の決意が残っているとは限らない
でも、そんなことでも時間が解決してくれるし、今の高校生活はすきだ。
大人になっていくにつれて、楽しいを上書きできる気がする。
たくさんくだらないことをして、楽しい思い出を沢山、もう溢れちゃうくらい作りたいし、それを写真と一緒に残しておきたい。楽しいことだけを。
楽しみなことがいっぱいだな、
不安なことを全部蹴飛ばして生きていきたいな
明日もみんなに、おはようって言おう
おやすみ