ミレイ保健室

えー、毎日が大変?そうだよなー。

いつの間にか高校2年生!

寝たら明日になってしまうな

明日になったら、明後日が来て、明後日は学校に行かないといけない

学校に行きたくなくて泣くのは無意味だということは幼稚園のころから知っている。

なので泣いたりはしないが、幼稚園の頃から集団にいることが得意ではないと自覚があった。

まぁ、お友達たちといるとなかなか上手くやれるので気づかれもしないが。

幼稚園につくと、中に入るのが苦痛でギリギリまで先生と入口のドアの前で手を繋いでみんなが来るのを待っていた。3年間。

 

小学一年生になって、近くの公園にお散歩で行った時に、グループのメンバーといるのが苦痛で、泣いた。

付き添いのだれかのお母さんに「どうしたの〜💦💦」と聞かれたが、「グループのメンバーが嫌だ」なんて言えなかったので、「川が怖い」なんて超カワイイ言い訳をしたのを覚えている。

そして泣いてまでして、そのグループを抜け出して、太陽みたいな女の子と手を繋いで、勝手にそっちのグループに入った。

誰も小学一年生の女の子がこんな巧妙な手口を使ってまでして、グループから抜け出したなんて思わないだろう。

まぁ、多分先生にはバレていた。

私の出来がいいから、性格がいいからって問題児2人と私しかいないグループにした先生が悪い。よく生徒を見ているなぁとは思うが。

わざと先生がいる所で泣いたのは、先生に対する小さな嫌がらせでもあった。

 

でもその次の動物園遠足も、私を問題児男子2人とグループに入れた。もはや私が害児だったのか?

ちなみにグループ名はチーターグループ。この名前は私が決めた。小学一年生の私はチーターが好きだった。

行きのバスで、隣のすごく頭が良かったKちゃんに「このままバスが動物園で止まらなかったらどうする?笑」って聞いたのを覚えている。

その子は、ええ、困る!と、楽しみそうに言っていたが、私は内心そうなってくれたらどれだけいいものか...と思っていた。

確かあの動物園の時も耐えきれなくて泣いたが、2人が「大丈夫??」って心配してくれて、手を繋いでくれたのを覚えている。両手を繋いで、3列で、私が泣き終わるまで歩いた。

私は本当に惨めだったし、問題児2人の優しさに余計泣いたのを覚えている。 

 

1人は引っ越してしまったんだよね、スマホもない頃に。今何してるのかなあ

 

親には怒られた。泣くなんてダサいと。泣くくらいならその問題児を殴ってやればいいと(そっちのがだめじゃないか?)小さい頃から泣くことに関しては厳しかったので、私も出来れば泣きたくなかったが、ダメだった。ああ、今思うとこの時から私は男の子がだめだったのか

その他にも、幼稚園年少さんで、友達に手を踏まれて血が出たときも、転びましたって1人で先生のところに行ったり、小学二年生の時も、先生に10枚もの便箋であっつーいメッセージを書いて泣かせたりして、変に大人びていた。

1番楽しかったのは、6年生になって、優等生だった私達(Kちゃんと私。中学3年生までずっと仲良し)を、先生達がほぼ初めて理不尽に怒ったので、Kちゃん母は怒りの電話をして先生を電話越しになかせたり、私の母は実際小学校に行って、文句を言ったり色々した。

...年々性格悪くなっているような?

 

小さい頃の美玲に言いたいのは、高校生になっても何も変わっていませんと言うこと。

けど周りに自分が充実しているように見せるのは上手くなったということ。楽しそうはいつか楽しいに変わると願っている...

それと、高校生でやっと優等生で無くなること。これは高校に入った中で良かったこととも言える。勉強ができないから、優等生をするにはテストの点が取れなくて苦痛だったので、良かった。

 

いろいろ思い返していると、わたしは絶ッ対に小さい頃の方が頭が良かった。

正直考える事のレベルは今と変わらず、なんで成長しなかったのだろうと思う。天才になりたかった。

この子供のレベルからちゃんと成長して、天才になったのが私の父だとも思う。

努力しろ!自分!

幸せになれー!自分!

みんな新学年頑張ろうね、死なないでね、おやすみ(^_-)-☆

おやすみBGM/ あの素晴らしい愛をもう一度