みれい丸水産

えー、毎日が大変?そうだよなー。

生きろ!!

死にたい死にたい!って思ってから、生きたい生きたい!ってなる状態の感情を、違う言葉で表したい。でも、いい言葉がない。自分の中にたくさんの言葉がほしい。言いたいこと言えないから。

体が空洞みたいに自分にはなんにもないって思ってるけど、何かを持ってる人の方が少ないなー、とも感じる。

一人一人の個性ってだいたい似たり寄ったりだもんねー、アハハ。

みれいにもなんにもない。生きるためだけに生まれてきた。ただそれだけ。

 

若気の至りだなんて知っている(~完~)

 

最近従姉妹に誘われて、インターネットアイドルというものに手を出しました。

ずっとアイドルがしたかった!

これが、前ぶれもなく叶ったのです。

 

まぁ、「アイドルをしたい」というのとは、ニュアンスはちょっと違うんですけど。

現実が見えてない訳でも無いので、安心してください。

 

中一の頃、あるドキュメンタリーを見ました。「だから、アイドル」という、売れない地下アイドルに密着したものです。

 

そこにあったのは、私の知らない世界でした。貧乏で、鳥の餌をご飯として食べながらもアイドルを続ける人。容姿も良くない。歌も良くない。ダンスもできない。それでも、アイドルとしてステージに立ち続ける女の子。

 

とにかく今まで私がアイドルと聞いた時に抱いたイメージを壊すものでした。

年齢も若くなく、稼ぎはほぼマイナス。

でも何故か、この人たちはすごく輝いて見えました。


坂道系とか、そういった所謂「王道」のアイドルより魅力的に見えたのは、この人達でした。

 

私はドキュメンタリーを見終わった後、まるで、「自分らしく生きる」というのは何なのか、問われてるように感じました。

そうです。この地下アイドル達はみんな、自分らしさを全く壊していないのです。

世の中、自分の好きな物、容姿、立ち振る舞いなど、自分を曲げずに生きていくのはとても難しいことです。どうしても生きやすい、暮らし安い方の型にはめられてしまいます。

それなのに、とても生きにくい、辛いほうを選び取り生きているのです。

自分らしさを大切にしながら。

 

なんだか、すごく矛盾しているようだけれど世間に流され、ゆるゆると生きてきた私もこうありたい、と思いました。

 

自分の好きな自分でこの世界を生き抜くこと。

それがとても美しく思えました。

 

この世界は、大体の場合先生に反対したら怒られます。それと同じで、イレギュラーに生きることは、この世界に適しません。

だから、苦しいのです。

でもやはり憧れがあります。やれるもんなら、やってみたい。

最初にニュアンスが違うと言ったのは、「アイドルをしたい」というより、「アイドル」という自分が好きな自分でいられる空間で、他人と接したいのです。

 

インターネットアイドルに誘われて、「アイドル」という、自分らしさを貫いた私が他人に見て貰えるのが嬉しかった。

アイドルとして活動を始めれば、それはもうアイドルだし、ブロガーとしてブログを書き始めたら、それはもうブロガーだと思います。

 

Goodな機会だと思って、元から勉強せずに好きなことしてましたけど、また好きにやろうと思いました。今は、12月のクリスマス会で従姉妹のファンに見てもらう水彩作品作りに奮闘しています。

 

皆さんは、自分の生活に満足していますか?それとも、未来への自己投資に全てを捧げていますか?

別に答えなんてありませんが、貴重なハイティーンの時間を、感性を、私は無駄にしたくありません。

こんなこと言ってたら「うるさい!勉強しろ!」と馬鹿にされそうですが。

 

ただ流されるだけに生きている人は、たまには若さを捨てて未来に投資しているということを考えてみるのもいいかもしれません。

将来成功することだけが本当に幸せなのでしょうか。

 

 

PS.学力は大事ですよ!?(^^;;  文字を知らなきゃ本が読めないように、学力が主として大事じゃなくても、手段として必要な時がタクサンアリマスカラ!!!でもそういうことを言いたい訳じゃないんです!分かってくれ!私は馬鹿だ!そんなの知ってるわ!

おじいちゃん

福島に来ておじいちゃんと話した。

おじいちゃんは私より色んなことを知っている。原子力発電所の設置について、とか、核家族について、とか。

おじいちゃんの意見をたくさん吸収したくって、本当は15分の面会時間を45分くらいオーバーしてしまった。(それはもはやオーバーの部類で無い気がする……)

被災地福島で、ずっとお医者さんをしていたおじいちゃんの意見はとても参考になるし、面白い。

今、また原子力発電所が増え始めようとしていることについておじいちゃんはとても残念がっていた。

ドイツのように完全撤去するまであと少しだったのに、被災地の被害の記憶は世間から抹消され、利益だけが追求され始めている。

話を聞いていると、やっぱり物事に対して自分の考えを持ち、批判的に捉えられるようにならなければいけないなと思った。

そうしなければ、どんどん悪い方向に進んでいってしまう気がした。

今の若い子達は上の人がどうにかしてくれるという意識が強い気がする。

もとある道だけを辿り、考えず、その場その場の考えだけで決めてしまうことに慣れてしまえば、政治に組み替えられた人生に対して疑問も抱かずただ死んでいく。

私自身馬鹿だし、どうしょうもない人間だし、政治にも世界にも詳しくないので、私なんかがなにか言ったところで、何言ってんだこいつ?って思われる気がするが、上辺だけの意見に流されたくないなと思った。

おじいちゃんのような人間に私はなれないし、どんどん優秀な人間が減っていくように感じるが、せめて自分の考えを持っていたいと思う。

考えることは、悪いこと?

これは駄目かもしれないってなって、それでソファに沈んでいます。さっきまでお絵描きをしていたのに、急に気持ちがショートするかの如く切れてしまいました。

たまにこう言う時があります。どうしようもなくなってしまって、死んでもいいという理由を求めて、嘆いてしまう。

自分は学校があまり得意では無いことは昔からわかっていました。私は学校を好きじゃないし、学校側も私をあまり好きじゃない。

人はある程度制限がある中で生きていくことを望むと思いますが、学校というのはなかなか残酷であります。学校に行かないと行かないでめんどくさい問題が出てきますから、結局行くのが1番楽なのかも……。

ずっと教師というものを好きになれないでいました。私が関わってきた教師はみんな、勉強が出来るだけでした。情緒教育などは全然ダメで、その点においては私は先生というものに出会ったことがないような気がします。

この前の日本史の授業で、「アメリカが核ミサイルを使ったのはしょうがなかったのか」という質問がありました。

その質問に対して、「しょうがなかった」という方に挙手した生徒が沢山居ました。

どんな理由があるにせよ、核ミサイルを使うのがしょうがないなんて思考回路になって言い訳がありません。日本の情緒教育はどうなっているのでしょうか。意味がわからない。

人を助けるために人を殺していいのでしょうか?

そんな疑問をいつも色んな面に抱いて苦しくなります。深く考えるな、なんて言われたりもしますが、自分の考えを持たないのならなぜ義務教育、高校教育があるのでしょう?お金持ちになるために勉強するんですかね?

自分の考えを確立できていて、それを根本に物事を考えられるような人間が教師になって欲しいと思います。そんな贅沢言っていたら、いつまでも学校なんて辛いだけかも知れませんね。

どう考えれば良いのかわかんないのです。でも戦争は嫌いなので、戦争が怒らないような世の中にしたいです。そのためには多分、教師による情緒教育はとても重要です。でもこのままじゃ駄目な気がします。

そんなこんなで色々考えていると、やっぱりいつでも前向きでいることはすごく難しいことなんだなと感じました。

無題

私の心は誰にも侵食されない

唯一の自由な空間である。

制限しかされない現実なんて、学校なんて、みんなみんな捨てちゃえば良い

無理になったから、もう無理だから頑張らない

好きなことしか頑張らない

みんなを貶すことで私が生きられるなら貶すし、自分を甘やかす、あたりまえじゃない

やるせなさをぶつける先にキャンバスがある。理解されてたまるか。評価されたいけど、理解されたくないから、いらない。

オリジナルなんて無いことはわかってんだよ、

でも探って自分を追求しない人間がきらい

あーあ、だめだー、今日も、明日も、たぶん

前向きになるために前向きなテーマで絵を描く

そしたら、仮想的な前向きが手に入るから。

仮想的な前向きが手に入ったら、私は生まれ変わるの。

ただ夢を見ている。

 

でも、私が生きてること自体が表現だから、芸術だから、リアルだから。

私が作品、結果は死

 

 

 

高3の選択教科を決められた日

あー!!!!!!!美術選択ない!!

先生から呼び出された瞬間、そう思った。そして、やっぱりそうだった。

去年と一緒で美術選択は無くなった。

去年よりも足掻いてみたが、無駄だった。

自称、自称進学校(笑)な私の学校は美大や音大など、イレギュラーな進路は排除したがる。

できるだけ生徒を良い学校(まぁどんなに頑張ってもMARCHどまりだが)に入れようと先生たちは日々、奮闘しているのだ。

 

どんな可能性でも受け止めて、生徒にあった進路を広げてくれるのが進学校ではないのか。

 

私は去年、先生から「美術選択を選べるのは、美大に行く人だけ」という趣旨の説明をされて、驚いた。

「なにいってんだ?そんなわけねーだろ!!!」

でも生徒達は真面目なので先生の言うことはしっかり聞いてしまったらしい。

という感じで美術選択は無くなった。

私はまるまる1年間(今だが)美術の授業を受けられなかったのだ。

そして来年も無くなってしまった。

 

なんでなんだろう。

すごく悔しくて涙が出てくる。

でも1人じゃどうすることも出来ないのだ。

美術の先生に慰めてもらうことくらいしか、出来ない。

去年は前の美術の先生に、「3年生になったら総合美術を取って!人数関係ないから!そしたらまた美術ができるから!」と慰めてもらったが、嘘じゃん。人数不足で開講されないぞ先生。

くやしい。去年と何も変わらない

くやしい、くやしいくやしいくやしい、

このやるせなさを何にぶつければ良いのか私は分からないし、絵にぶつけたところで、いい絵が描けたところで、もう何になるというのだろうか。

わかんなくなってきた。

あーあ!寝る!

明日はいい日になるよね、なれよ

おやすみチンクルホイ!

♫/僕は頑張るよっ 神聖かまってちゃん

私は実在している

心臓の鼓動、私の息遣いが、聞こえる。

私を流れる雫に、避けていく風。

私は、今、実在している。

私はここに、実在している。

 

スクランブル交差点の真ん中に立っても、殆どの人は見向きもせずに、自らの帰路を急ぐだろう。

私を華麗に避けて行く。

 

廊下ですれ違う時、私は私じゃない誰かにならなくてはいけなかった。

ただ、そこに実在していた。

 

触れようとすると、飛んで行く翅、逃げて行く魚影。

私は実在している。

人工的な排除に、連れていかれる前に。

私はここに実在している。